マッキーが養護学校卒業して、もう30年になります。あの頃夢を抱いていた事は、社会人になって、仕事に就いて少しでも親を安心させたいと思っていました。その為なら何でもするともの凄く意気込んでいたのも事実です。だから、「自分に出来る仕事を」と思い探していました。それでもやれる仕事は限られていて、気が付くと印刷の仕事に就いていました。それも一般の印刷会社ではなく、授産施設での仕事でした。マッキーのような重度障害者が働くと言う事は、当時では珍しかったようです。ですが、マッキーは負けん気が強かったので、何にでも挑戦していました。指導員から「タイプライターをやってみろ」と言われて必死にやっていた事を思い出します。それも無理な体勢での作業に大変疲れていました。
そんな疲れを取るかのように、アルコールを飲んでいたのです。確かに身体の緊張も激しかったので、少量のアルコールを身体に入れる事で緊張は取れていましたが。それが癖になって飲む量が次第に増えていったのです。そして、身体を壊して病院に入院する事になってしまったのです。まだ、この頃は『アルコール依存症』だとは診断されていなく、ただの飲み過ぎだと言われていたんです。ですから、退院後も飲みまくっていました。次第に仕事が出来なくなり、またマッキーの飲酒問題が施設で公になり、そこには居られなくなり自主退所と言う形を取って辞めてしまったのです。問題は飲酒だけじゃありませんんでしたが・・・。
親を安心させる為に、施設に入ったマッキーでしたが今考えてみると、何だかちょっと違うように思えます。マッキーは高校時代、かなり大きな夢を持っていました。それは、地方公務員になって地元の役場に就職して、実家から通勤したいと思っていたのです。親としてみれば、『施設生活』が安心だったようですがね。そして、その為の勉強もやっていたのです。ですが、その年には採用試験はなく、やむを得ず施設に入る事に。
施設を辞めたマッキーは、先輩が築き上げていた作業所に入る事にしていたんです。作業所のみんなも歓迎してくれました。印刷の技術は持っていたので、早速印刷担当になってそれなりにやっていたのです。で、自立生活を始めたんです。が、当時のマッキーの生活振りは本当の意味での自立生活ではありませんでした。ただ、作業をしてそれが済むとさっさとアパートに帰り、飲むだけ飲んでの暮らしになっていたのです。もう、仕事なんてどうでも良かったのです。飲酒によって期待されていた仕事も出来なくなり、作業所を休む事が多くなっていたのです。「あなたなんか、もう来なくてもいいから」とも言われていました。そして、飲酒行動の結末は精神病院に入院と言う事に。さすがにマッキーも「ここまで来たら、もうダメだ」とかなり落ち込んでいました。
ですが、救いの道はあったんだよ。作業所のみんなも「もう、諦めた」と言っていたようですが、自助グループのメンバーに助けられました。今、マッキーが生きていられるのもマッキーが積極的にミーティングに通い続けた結果だと思います。そうでもしないかぎり助かる道はなかったように思えます。
過去がどうであれ、生きている事に感謝しなくてはいけませんね。そう思いませんか。これが死んでいたら、何も残らないからね。「あいつは、飲んで死んだ」としか言われないもんね。マッキーは、現在仕事していません。やっている事と言えば、1日1時間ブログを書いているだけです。今は、それがマッキーの1日の仕事なんだと思っています。
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