2012年05月24日

養護学校卒業して、もう30年になります


マッキーが養護学校卒業して、もう30年になります。あの頃夢を抱いていた事は、社会人になって、仕事に就いて少しでも親を安心させたいと思っていました。その為なら何でもするともの凄く意気込んでいたのも事実です。だから、「自分に出来る仕事を」と思い探していました。それでもやれる仕事は限られていて、気が付くと印刷の仕事に就いていました。それも一般の印刷会社ではなく、授産施設での仕事でした。マッキーのような重度障害者が働くと言う事は、当時では珍しかったようです。ですが、マッキーは負けん気が強かったので、何にでも挑戦していました。指導員から「タイプライターをやってみろ」と言われて必死にやっていた事を思い出します。それも無理な体勢での作業に大変疲れていました。

そんな疲れを取るかのように、アルコールを飲んでいたのです。確かに身体の緊張も激しかったので、少量のアルコールを身体に入れる事で緊張は取れていましたが。それが癖になって飲む量が次第に増えていったのです。そして、身体を壊して病院に入院する事になってしまったのです。まだ、この頃は『アルコール依存症』だとは診断されていなく、ただの飲み過ぎだと言われていたんです。ですから、退院後も飲みまくっていました。次第に仕事が出来なくなり、またマッキーの飲酒問題が施設で公になり、そこには居られなくなり自主退所と言う形を取って辞めてしまったのです。問題は飲酒だけじゃありませんんでしたが・・・。

親を安心させる為に、施設に入ったマッキーでしたが今考えてみると、何だかちょっと違うように思えます。マッキーは高校時代、かなり大きな夢を持っていました。それは、地方公務員になって地元の役場に就職して、実家から通勤したいと思っていたのです。親としてみれば、『施設生活』が安心だったようですがね。そして、その為の勉強もやっていたのです。ですが、その年には採用試験はなく、やむを得ず施設に入る事に。

施設を辞めたマッキーは、先輩が築き上げていた作業所に入る事にしていたんです。作業所のみんなも歓迎してくれました。印刷の技術は持っていたので、早速印刷担当になってそれなりにやっていたのです。で、自立生活を始めたんです。が、当時のマッキーの生活振りは本当の意味での自立生活ではありませんでした。ただ、作業をしてそれが済むとさっさとアパートに帰り、飲むだけ飲んでの暮らしになっていたのです。もう、仕事なんてどうでも良かったのです。飲酒によって期待されていた仕事も出来なくなり、作業所を休む事が多くなっていたのです。「あなたなんか、もう来なくてもいいから」とも言われていました。そして、飲酒行動の結末は精神病院に入院と言う事に。さすがにマッキーも「ここまで来たら、もうダメだ」とかなり落ち込んでいました。

ですが、救いの道はあったんだよ。作業所のみんなも「もう、諦めた」と言っていたようですが、自助グループのメンバーに助けられました。今、マッキーが生きていられるのもマッキーが積極的にミーティングに通い続けた結果だと思います。そうでもしないかぎり助かる道はなかったように思えます。

過去がどうであれ、生きている事に感謝しなくてはいけませんね。そう思いませんか。これが死んでいたら、何も残らないからね。「あいつは、飲んで死んだ」としか言われないもんね。マッキーは、現在仕事していません。やっている事と言えば、1日1時間ブログを書いているだけです。今は、それがマッキーの1日の仕事なんだと思っています。
posted by マッキー大将 at 08:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月23日

運命の赤い糸


世間の40代の男達と比べると、マッキーはよく「・・・何で独身。あなたが・・・」と言われる事が多いです。それでも“将来の人”を諦めてはいないのですよ。

ちょっと聞いた話なんですけど、「待ってる時間が長い分だけ、めぐりあえた時の喜びがあったりするって」言う事なんです。

違う場所なのか、同じ場所なのか分かりませんが。でも、どこかでマッキーの“将来の人”はきっと頑張っているんだと思っています。

これまでだって、『縁』がなかった訳ではありません。そう、マッキーが気付くのが遅すぎていたのです。

マッキーは思っています。まだ見ぬ人が、運命の赤い糸で繋がってるんだぁと。でも、きっとその人も、どこかで素敵な存在してて、いろいろ頑張っているんだと思っていますよ。どんな人か分からないけれど。きっとどこかで自然に巡り逢えたらいいなぁと思ってる。
posted by マッキー大将 at 08:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月22日

『ハイヤー・パワー』


13年前の2月にマッキーは、焼酎2升飲んで明くる日は病院で死にかけていました。心療科の診察を待ってる時間に、急に身体に異変が起きて気分悪くなり、処置室で点滴を打ち始めたと同時に吐血してしまい、ICUに緊急入院さえられました。ICUの中で意識を失い、元主治医であるドクターAから「もう、ダメだ。諦めた」と言われたそうです。それでも内科の先生は諦めずに処置を続けられたそうです。その間のマッキーは、とても綺麗な川岸に立っていたのです。俗に言う『三途の川』だったようです。後ろからマッキーを呼んでる声が聞こえて来て、ふっと振り返る事が出来たんでマッキーは生き返って来ました。あのまま、振り返る事が出来なかったらマッキーの存在は今頃なかったものと思われます。

マッキーがこの世に生を受けたのは、今から47年前の事です。マッキーは3ヶ月も早い早産だったらしく、生まれてきた時の身体は親父の手の平に乗るくらい小さかったそうです。この事は、生前の親父から聞いた事があります。未熟児で「生きるか死ぬか分からない」と医者が言ってたそうです。ですが、マッキーは生かされました。と言うことだったので、今のマッキーの存在があるって事だよ。

今日もあるヘルパーさんと話して来たんだけど、人間は決して自分一人で生きているんじゃないんだよ。一人ひとりに守護霊がついていて、守ってくれているんだよ。日曜日にお寿司を食べて、我が家に辿り着いた時我が家の猫がマッキーの姿を見て、何だか変な行動をとっていたけど、その時マッキーの後ろに誰かみたいなんです。これは、憶測で何とも言えませんが、きっと誰かの霊がついていたものだと考えられます。

マッキーが、死にかけて助けられて病院から退院するとき、今までにない何とも言えない恐怖に襲われていました。「また、飲むんじゃなかろうか」と。そんな不安を抱いたまま退院しました。それから1年6ヶ月は飲まない生活が送れていましたが、その後「少しだけならいいだろ」とあまい考えが出てきて、再飲酒してしまいました。それからまた、教育入院と言う形で病院に入院したのです。あの時は、1ヶ月で退院してきましたが、アルコールをやめる事は出来ずにいました。

そして、ヘルパーさんに頼んで飲んでいましたが、その最中にマッキーの頭を何かが横切り、その瞬間マッキーはヘルパーさんに「もう、飲まないよ」と一言言ったのです。ですが、誰も信じてくれませんでした。とっても辛い時期でした。それでもマッキーは、飲まなかったのです。1日でも飲まないでいる事が大変なこの病気ですが、マッキーは飲まない生活を実行していました。1週間飲まないでいても、ヘルパーさんは「まだ、分からない」と言っていました。飲まない生活3ヶ月後、やっと分かってもらえました。あれから8年、マッキーは『ハイヤー・パワー』に助けられています。目に見えない力にね。

ミーティングで良く使う言葉なんですよ。メンバーと分かち合う事で、1日1日を大切に生きています。今のマッキーにとっては、ミーティングは欠かせない場所であり、今後生き残るための場所だと思っていますよ。
posted by マッキー大将 at 08:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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